今日は私がアダルトチルドレンである、という話。
原因は両親。主に母、少し父も。
ずっと苦しんできたけど、最近そういう自分をやっと受け入れることができて、前に進めそうな気がしているので、ここに書き残しておこうと思います。
私はアダルトチルドレン
ずっと苦しかったこと
幼稚園の頃。
お父さんが仕事から帰るといつも殺気だっていたこと。
お母さんがいつも困った顔をしていたこと。
私が間違ったことをしてはいけないといつも気を張っていたこと。
小学生の頃。
よく母親に言われていた言葉。
「小さい頃は頭が良かったのに大きくなったら普通になってしまった。」
「口角が下がっていて怒った顔に見えるから、いつも口元を上げていなさい。」
小学5年生、人間関係に悩んで学校へ行けなくなった私に母は言った。
「あなたが学校へ行かないとお母さんも周りの人から変な目で見られる。」
この人は、子どもを愛している自分を愛しているんだと理解した瞬間だった。
無理矢理に登校させられ、残りの小学生の時間は吐き気を感じながら過ごした。
中学からは友人たちに恵まれたけれど、意識・無意識に感じているストレスから毎月1、2度お腹を壊す生活が高校を卒業して実家を出るまで続いた。
親から褒められた記憶はほとんどない。
ずっとずっと苦しい日々
大学に進んでひとり暮らしをはじめて、親と生活するストレスから解放されたと思った。
けれどもそれは違った。
私の頭の中の母親が私を否定する。
どんな小さなことでも
「そんなやり方ではダメ」
と頭の中で母親の声がする。
物理的な距離をとってもなお私は苦しさを抱えながら生きなければならないのか。
生きづらい。
結婚して子どもが産まれて、ただでさえ悩みや辛さを感じているのに、頭の中の母親はそれに拍車をかけてくる。
私はこんな母親にはなりたくない。
だけどこんな母親しか知らないから、私も母と同じになって娘を苦しめてしまうのではないか。
私は親になってはいけなかったのではないか。
恐怖感と罪悪感の日々。
つきつけられる
ちょっとしたきっかけがあってアダルトチルドレンという言葉を検索してみた。
そこで見つけたページを読んでいるうちに涙が流れてきた。
悲しいわけじゃない。
少なくとも悲しさを自覚していない。
でも私が今までフタをして見ないようにしていたことをつきつけられた思いだった。
私なんて全然マシ。
毒親というほどじゃない。
私はまだ恵まれている方。
そうやって自分に言い聞かせて暮らしていたのに。
本当は何年も前から自分がアダルトチルドレンだと感じていたけど、無視していたのに。
「あなたはアダルトチルドレンです。」
と正面から言われた感覚だった。
苦しいと思ってもいいんだと。
傷ついていないフリをしなくてもいいと。
流れてくる涙が自然に止まるまで、ひとしきり泣いたら、なんだかスッキリした気分になった。
ずっと抱え続けた心のモヤモヤが晴れたような。
今まで否定してきた自分を受け入れられたんだと感じた。
自分を受け入れる
親のことを嫌いだと、その親から生まれた自分に対しても嫌悪感を抱いてしまう。
自分の中に親に似た部分を見つけるたびに、もう消えてしまいたいという気持ちが湧いてきた。
鏡にうつる自分の姿が母親に似ていて、悲しくなった。
いつも自分の考えややり方が正しいと押し付けてくる母親のようなことを、自分も娘にしてしまうのではないかと怖かった。
生理前で情緒が不安定な時は特にそんな感情が強く、夜ひとりで泣いていることが毎月のようにあった。
でも「私はアダルトチルドレンである」ということを受け入れたら、少しずつ変わってきた。
毎日私を否定する、私の頭の中の母親の声が聞こえなくなってきた。
私なんて何をやってもうまく行かない。と思っていたけど、人生で何かひとつ、たとえ結果的にうまく行かなかったとしても、これはやり遂げたと思えることを持ちたいと思うようになった。
親のすべてを否定しようとしていたけど、楽しかった思い出もあることを認められるようになった。
今、やっと自分の人生を生きることができると感じている。
自分の人生を生きる
こうして書くことで自分の気持ちを整理したり、新しいことをはじめることで自分の中に変化を起こそうとしたり。
生きることに前向きな気持ちを持てるようになってきた。
挑戦する前にあきらめるのはやめよう。
ひとりで抱え込むことも少しずつ減らしていこう。
自分の気持ちを取り戻して、私は私を生きていきたい。
▼どうしようもない後悔と悩みに襲われた時にやったこと。
▼悩んでばかりでは、先は開けてこないんだなって思った話